大久保古墳群で鴨川の右岸、荒川の自然堤防の上にある。前方後円墳。前方後方墳の可能性もある。前方部は削平されている。後円部の直径35m。高さ6m。
文献
[1] 宮川進 1997「さいたま古墳めぐり」さきたま出版会
塚本塚山古墳。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年6月30日
現在は30mの方墳のみが残るが元は60mの前方後方墳と言われている。
前期古墳。
民家の庭先にあり案内板もないので見学しづらい古墳ではある。
後方部は6mありかなりの急傾斜です。
前方部は元から低かった可能性。
後方部は前から見るとかなり迫力がある。
この古墳が埼玉県南部の最初 pic.twitter.com/XAzsPqJg4y
の広域首長墓であることはあまり知られていないと思う。
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年6月30日
埼玉県にも古墳好きや古代史ファンも多いと思うが地元の古墳の意義がどれだけ知られているのかな?
埼玉県の古墳研究者もほとんど言及していないよね。
比企の古墳群→埼玉古墳群のみで語られている。
これで地域史が語られるのだろうか? pic.twitter.com/irg3KwOiaH
塚本塚山古墳が出現した意義を論じた研究者はいるのかな?
— 古代人? (@Kikiki93886931) 2020年6月30日
旧入間川流域には数多くの古墳時代前期の集落が分布している。
大久保領家片町遺跡や鍛冶谷・新田口遺跡など低地集落が古墳造営集団として十分な大遺跡だと思うな。
もう少しダイナミックな地域史を語る条件は揃っている。
前方後方墳が気になっていたところでこの貴重なツイートを発見。民家の敷地内なので実際に見学した人は少なそう。昔さいたま市博の踏査会「鴨川流域の古墳群を歩く」に参加して大体分かった積りになってたけど、この古墳は踏査リスト外だったしそもそも古墳群の時代より数百年先ということか。面白い! https://t.co/PH15jChJ4N
— shigesoul (@BackInMusashi) 2022年12月30日